全てが唯洩れている場所
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狸と引いて初めて気が付いたんだけど、英語で『狸』という言葉がない。
ラクーン、はアライグマで、ドッグは犬。なんか苦しいなあ。無理やり作ったのかな。
シスアドの試験まで残り一週間です。
午前問題はかなり取れるようになりました。どの問題もバッチコーイ!なわけではないんだけど、まあ緊張とプレッシャーで正答率が10%落ちても大丈夫だろう、くらいは取れるようになりました。
午後問題はもう、問題がないのです。全部やっちまったよ。仕方なく過去問題を二周しました。
それでもまあ何とか合格ラインに入るかなー問題覚えてるもんなーって感じです。
問題がアンダーラインと計算でぐちゃぐちゃでもう考える余地が全く無いね…(だから同じ所で躓くんだと思います)
春休み中ずっと一人で家で勉強していたからか、学校で友達との関係にやたら地雷を踏む私。
何を話していたんだろう。特に話題も無く、でも黙ってると向こうも気まずそう。
春休み中何をやってたかって勉強がメインの生活で後はバイトしかないし…バイトは愚痴になっちゃうし…勉強のことについて色々言うと相手はいい気持ちがしないみたいです。焦るのかなんなのか。私もわざと「受かるよ」とか「すごいね」とか言わせてる気分になってくるのであんまり話をしたくないのです。
そうするともう全然話題なんか無いんですけど。
みんなやっぱテレビの話とかなのかしら??テレビもあんまり見なかったからなあ。朝勤だと早く寝るからドラマとかスッカンカンですし。
そんで、もうちょっと自分と自分の周りの人たちとの関係について考えてみたんだけど。
結構浮いてるなあ、というのが素直な感想でした。
同専攻の友達と、同専攻偶数の友達と、他専攻の友達の三つの輪の中でどれにもかぶっているけど本籍(なんだそりゃ)が無いというか何と言うか。『私がしょっちゅうつるんでるのは誰某ちゃんです!』とははっきり言えないのです。この人とはこのクラスだと仲がいいけどそれいがいはそんなでも無いね、とかその程度の新密度なんですね。
そういえばクラスの友達と個別で遊んだこともそんなにないなあ。
寂しいなコラと思わなくも無いけど、文章で見てみたら別にどうってことありませんでしたな。
こないだ感じたあの疎外感は一体なんだったのか。。
恐らく私は自分に合う人なんて基本的にこの世にいないと思っているのですね。限りなく重なる時があるけれどそれは同じでない。
同じ考えの人が沢山いたらおかしいべ。でも時々心のそこから「そうだね」って言って欲しい時っていうのがあって、お世辞とか同情とか日本人特有の「合わせる」文化を抜きにして肯定が欲しくなってしまうのです。
今自分を取り巻いている人たちとは自分は薄い付き合いだからそういう奥の話まではしないんですね。しても打ち切られちゃう。そういう話を聞くということを疎ましがっている感じすらします。楽しければいい、みたいな。
基本的には私もそのスタンスはいいと思うんです。でもたまに、そういう話もしたいときがあるんです。
確かに聞くのは面倒くさいけれどね。
それがあんまり酷いと、なんだかガックリきてしまうのですねー。「この考えなしが!」と苛立つ反面「私が異常なんだよなあ」とも思っている。
いいじゃん今、楽しければ。裏も表もそう思っているべきなのかな?と。
そんなにシアワセに生きちゃいないよ。
でも本当は裏も表もそう思っているように『見える』事が真実なんですよね。見えないところでガス抜きをしている。
気付かないふり、気が付かれていないふり。
知らないふり、知られていないふり。
シアワセなふり、タノシイふり。
知らぬ存ぜぬ、されどどっこい生きている。
そうやってみんな何処かに自分を隠して分からなくなっていくのかもしれません。
わかってる、わかってるっつうの。
ラクーン、はアライグマで、ドッグは犬。なんか苦しいなあ。無理やり作ったのかな。
シスアドの試験まで残り一週間です。
午前問題はかなり取れるようになりました。どの問題もバッチコーイ!なわけではないんだけど、まあ緊張とプレッシャーで正答率が10%落ちても大丈夫だろう、くらいは取れるようになりました。
午後問題はもう、問題がないのです。全部やっちまったよ。仕方なく過去問題を二周しました。
それでもまあ何とか合格ラインに入るかなー問題覚えてるもんなーって感じです。
問題がアンダーラインと計算でぐちゃぐちゃでもう考える余地が全く無いね…(だから同じ所で躓くんだと思います)
春休み中ずっと一人で家で勉強していたからか、学校で友達との関係にやたら地雷を踏む私。
何を話していたんだろう。特に話題も無く、でも黙ってると向こうも気まずそう。
春休み中何をやってたかって勉強がメインの生活で後はバイトしかないし…バイトは愚痴になっちゃうし…勉強のことについて色々言うと相手はいい気持ちがしないみたいです。焦るのかなんなのか。私もわざと「受かるよ」とか「すごいね」とか言わせてる気分になってくるのであんまり話をしたくないのです。
そうするともう全然話題なんか無いんですけど。
みんなやっぱテレビの話とかなのかしら??テレビもあんまり見なかったからなあ。朝勤だと早く寝るからドラマとかスッカンカンですし。
そんで、もうちょっと自分と自分の周りの人たちとの関係について考えてみたんだけど。
結構浮いてるなあ、というのが素直な感想でした。
同専攻の友達と、同専攻偶数の友達と、他専攻の友達の三つの輪の中でどれにもかぶっているけど本籍(なんだそりゃ)が無いというか何と言うか。『私がしょっちゅうつるんでるのは誰某ちゃんです!』とははっきり言えないのです。この人とはこのクラスだと仲がいいけどそれいがいはそんなでも無いね、とかその程度の新密度なんですね。
そういえばクラスの友達と個別で遊んだこともそんなにないなあ。
寂しいなコラと思わなくも無いけど、文章で見てみたら別にどうってことありませんでしたな。
こないだ感じたあの疎外感は一体なんだったのか。。
恐らく私は自分に合う人なんて基本的にこの世にいないと思っているのですね。限りなく重なる時があるけれどそれは同じでない。
同じ考えの人が沢山いたらおかしいべ。でも時々心のそこから「そうだね」って言って欲しい時っていうのがあって、お世辞とか同情とか日本人特有の「合わせる」文化を抜きにして肯定が欲しくなってしまうのです。
今自分を取り巻いている人たちとは自分は薄い付き合いだからそういう奥の話まではしないんですね。しても打ち切られちゃう。そういう話を聞くということを疎ましがっている感じすらします。楽しければいい、みたいな。
基本的には私もそのスタンスはいいと思うんです。でもたまに、そういう話もしたいときがあるんです。
確かに聞くのは面倒くさいけれどね。
それがあんまり酷いと、なんだかガックリきてしまうのですねー。「この考えなしが!」と苛立つ反面「私が異常なんだよなあ」とも思っている。
いいじゃん今、楽しければ。裏も表もそう思っているべきなのかな?と。
そんなにシアワセに生きちゃいないよ。
でも本当は裏も表もそう思っているように『見える』事が真実なんですよね。見えないところでガス抜きをしている。
気付かないふり、気が付かれていないふり。
知らないふり、知られていないふり。
シアワセなふり、タノシイふり。
知らぬ存ぜぬ、されどどっこい生きている。
そうやってみんな何処かに自分を隠して分からなくなっていくのかもしれません。
わかってる、わかってるっつうの。
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